私から広がる将棋
「穂刈さんの影響を受けて、将棋をはじめてみたいと思いました」
「穂刈が教えてくれるなら将棋を始めてみたい」
このような声が、将棋ブログを始めてからはもっと多くなりましたが、このブログを始める前からもけっこうありました。
私が将棋を与えるきっかけを誰かに与えることで、その与えた誰かがまた誰かに将棋を教えたりすると、将棋の輪はどんどん広がっています。
それは、起業や事業にも共通するものです。
私は、弟をはじめとして、小学生のころから、多くの同級生に将棋を始めるきっかけを与えてきました。
その同級生の誰かが他の人に教えたり、既に将棋を知っている人と対局していることもあるかと思います。
第14期名人が弟、第16期名人が私です。
私が教えて、私が半ば強引に大会に弟を連れていったら、私ではなく、弟が優勝しました。
昨日この話を弟にしたところ、対戦順がよかったといってましたが、運も大切な実力です。
私に広がる将棋
この「段落」は将棋とはあまり関係ありません
私に広がる将棋
私は、母方の祖父から将棋を教えてもらいました。
たしか、家に「加藤一二三九段の将棋」のスーパーファミコンのゲームを見つけたものの意味がわからなくて、じいちゃんに聞いたのがきっかけだったような気がします。
将棋をはじめるにあたって、はじめは、はさみ将棋や将棋すごろく(オリジナルルール)などから入っていきました。
将棋の他にも、近くの公園でブランコを押してもらったのが懐かしい思い出です。
新盆
そんな祖父が昨年の11月に亡くなりました。
あくまで将棋ブログなので、細かいことは割愛しますが、そのお盆が8月16日であると、前日の15日に気づき、次の日の朝から高速で飛ばして、祖父のいる地元に帰ってきました。(今もそこから執筆しています)
予定の時間より5分ほど早く着いたので、雨でブランコが濡れてはいたのですが、送る前の最後の機会だと思い、よく祖父に押してもらったブランコに乗ることにしました。
冷静に考えれば、慣性の法則が働いただけなのかもしれませんが、ブランコに乗っているうちに、急にブランコの揺れが強くなったので、涙が止まらなくなってしまいました。
私らしく生きようとしている私の背中を、そっと押してくれたのかもしれません。
受け継がれる魂
将棋盤を賜る
公園のブランコを降りて、祖父の家に行き、線香をあげに行きました。
全てが済み、私は祖父の家の棚の上から、将棋盤とその駒を見つけました。
20年以上前に私が教えてもらったときのもので、祖父が若いうちから使っていたものだそうです。
見て、お分かりの通りとても汚れていますし、汚いかもしれませんが、私にとっては大切な宝物です。
叔母が「じいちゃんの垢がたくさんついてるかもね」
といっていましたが、私にとっては、むしろそれはそれでいいと思いました。
受け継がれるバトン
ようやく厨二くさかったタイトルに入ります。
祖父の家で、涙をこらえてコマを並べていました。
そんなとき、高校生の妹がやってきたので、将棋の駒の動かし方を教えてあげました。
はじめてだったので、将棋の駒の動かし方を覚えるのにとても苦労していました。
しかし、結局将棋アプリをダウンロードし、1人でやるくらいはまってくれたそうです。
教えてから数時間ではやくも、妹はアマチュア8級相当の相手を倒していました。
今後がとても楽しみです。
受け継がれる魂
私が大好きだった祖父は亡くなりました。
しかし、祖父が私に伝えた将棋は、私からどんどん多くの人に広がっています。
冗談半分で始めたこの将棋のブログのアクセス数もなかなかなもので、祖父の将棋はこれからも広がっていくことだと思います。
私は、形や戦略は振り飛車の方が好きです。
小学生の頃から去年まで、ずっと振り飛車で指してきました。
誰かに教えるのであれば、囲いも簡単で覚えることの少ない「振り飛車」をおすすめしますし、私自身も振り飛車を相手にする方が戦いにくいです。
しかし、私は「居飛車」を選択しました。
いろいろ理屈をあげはしましたが、もう1つの大きな理由があります。
それは、祖父が居飛車だったからです。
ついにアマチュア2級に昇級。アマチュア3級で伸び悩むこと2週間。
ブログで基本をまとめたり教えてるうちに強くなっていたようです。
アマチュア2級相手にも7連勝! アマチュア1級もすぐそばか!?
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