穂刈 正樹 のプロフィール

穂刈 正樹(Masaki Hokari)| 働き方の多様性の実現に向けて活動中

肩書き

 ・FreelanceNow統括(フリーランスが実名で2700人集まるコミュニティ)
 (https://freelancenow.discussionpartners.net/
 ・Anything|チームフリーランス代表(https://newfreelife.net/anything/)
 ・株式会社パブロフ最高執行責任者(COO)
 ・家庭教師のサクセス 顧問役
 ・フリーランスの聖地(?)まるも元スタッフ。他。

学歴  横浜国立大学経営学部会計学科卒
生年月日  1992年5月26日(25歳)
出身地  神奈川県愛甲郡(静岡県熱海市との2拠点生活)
部活動  バレーボール(中学)、ワンダーフォーゲル・軽音(高校)
サークル  男女混合バレーボール(高3~現在)、バンド・その他(大学)、文化部:ゲーム(社会人)
運営団体
(趣味)
 レジスタンス:男女混合バレーボールサークル(2010年5月~現在)
 足猿部:男女混合フットサルサークル(2017年8月~現在)
 ソフトボール同好会(近日設立予定)
趣味  上記、運営団体による活動
 将棋(アマチュア初段棋士):将棋プロフィールへ
 ゲーム(DQMSL、パワプロ、ポケモン、ギレンの野望、スーパーロボット大戦、遊戯王、ドラクエ、FF、他多数)
資格  証券外務員1種、ファイナンシャルプランナー2級、AFP、日商簿記検定2級、秘書技能検定2級、建設業経理士2級、販売士、生命保険、食品衛生責任者、他。
大会実績  日本男女混合バレーボール協会主催全国交流大会出場
 (2014年度、2015年度、2016年度、2017年度)
 横浜市内カラオケ大会3連覇
 小学生将棋大会優勝(町内大会)、中学生将棋大会優勝(地区大会)
プロフィール
(エピソード)

 17歳の頃に初めての起業を経験し、以後8年間様々な事業で起業する。

学生時代は10以上の資格の取得に励んだり、大学1年生の頃から20社以上のインターンシップ+αを経験したり人生設計に迷走する。

現在、チームとしては「Anything|チームフリーランス」を、
個人としては様々な企業で、いろんな働き方を実践中。

1年1年、いろんなことを経験しながら、有意義な人生を送りたいと思っています。

これまでの人生

幼少期(生後~小学1年生)

私は神奈川県の駅のない田舎町で生まれ育ちました。
2つ下に弟がいます。

とても好奇心旺盛で、興味を持ったこと・疑問に思ったことは解決せずにいられない性格でした。

正義のヒーローが大好きで曲がったことが大嫌いでした。
(それは今も変わっていないのかもしれません)

3歳の頃に体重が18キロある元気な子供でした。

母方の祖父が同じ町に住んでいて、一緒にたくさん将棋をしてもらったり、ブランコを押してもらったのがとても懐かしいです。

4歳の頃から3年間、父親の仕事の都合でインドで暮らすことになりました。

このときの経験が、今の自分に大きく活きていると思います。

児童期(小学1年生~小学3年生)

7歳の頃に日本に帰国し、転校しました。

父親の仕事先の集合社宅から通うことになっていたのですが、自分と同じような環境で通う人が多く、友達と毎日遊んでいました。

集合社宅の中央に広場のようなところで毎日のようにサッカーをやったり、風の吹かないところで遊戯王カードをやっていました。

青年期Ⅰ(小学3年生~高校3年生)

そんな楽しい毎日は「転校」によって終わってしまいました。

新しい友達づくりにとても苦労したのです。

理由は、前の学校の友達と毎日のように遊ぶことができていたのが突然遊べなくなって、そのようなつらい思いを繰り返すのが怖かったんだと思います。

転校してから少年野球を始めてみたりはしたのですが、ゲーム(RPG)や将棋などをやることも増えていきました。

穂刈 正樹のプロフィール(将棋アマチュア棋士)

2017.08.10
将棋
母方の祖父に将棋を教えてもらったのをきっかけにはじめました。
3年生の頃から町内大会にも参加しはじめ、6年生の頃にようやく、20人規模の、町内の小学生将棋大会で優勝することができました。
中学1年生になって、中学生の部の大会で優勝したことをきっかけに奨励会入りを志しましたが(天狗)、段位保持者にぼろぼろに敗れ、それから4年ほど将棋を指さなくなりました。

RPGをひたすら極めたり、アクションで日本一を目指したり、本当にゲームばかりしていました。
(少年野球チームに入ってはいましたが、将棋の大会等を理由にして休んでばかりでした…。)

ゲーム
小さいころからゲームが本当に大好きです。攻略サイトをつくったりもしています。
来年あたりにはプロゲーマーになりたいです。(肩書きがほしいだけ)

部活動は、中学生の頃は「バレーボール部」、高校生の頃は「ワンダーフォーゲル部」で一生懸命やっていました。

バレーボール|レジスタンス(2010年5月~現在)
高校3年生の頃に、球技大会をきっかけに、クラスメイトとバレーボールのクラブチームを設立しました。
今でも、男女混合バレーボールチームとして「JMVA」(日本混合バレーボール協会)の大会を中心に活動しています。

青年期Ⅱ(高校3年生~大学1年生)

高校3年生の8月から受験勉強を始めましたが、第1志望であった横浜国立大学経営学部に合格できずに失敗してしまいました。

結局、信州大学に進学したものの、受験勉強の期間がもう少し長ければ合格できる自信がありました。

次第に、その思いが強くなった結果、信州大学を休学し、横浜国立大学に再受験して合格しました。
センター試験は一発勝負なので、とても恐ろしかったのを今でも容易に思い出せます。

人生最大の恐怖
今までの人生で1番辛かったのは、このセンター試験です。
あまりの恐怖で、今でもときどき夢にでてきます…。

将来の人生設計に迷い続けた大学生活

青年期Ⅲ(大学1年生~大学3年生)|自分の強みを知る

横浜国立大学に入ってからは、大きなカルチャーショックのようなものを受けっぱなしでした。

外国人もすごく多かったですが、自分が一番ショックを受けたのが、自分より優れている人がたくさんいたことです。

それまで、勉強と運動(文武両道)ではトップであるという自負があったのですが、それは所詮「井の中の蛙大海を知らず」でした。

狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。

そんな自負が、高い鼻が折れたときに初めて、自分はなにより努力家であったことに気づきました。

大学受験のときは、毎日朝6時前に起きて、往復4時間をすべて暗記物の勉強にあてて、夜遅くまで勉強し、寝るときも日付が変わるくらいまで布団の上でも勉強していました。
そんな生活を当たり前のようにしていたのです。

そのように、なにかあっては、自分が優秀であることにするために、必死に努力していたのです。

自分は天才ではない。自分は努力家だったんだ…。

努力をしなくなった自分にいったい何が残るんだろうか…。

努力をしなくなった自分・過ぎ去っていく二度と戻らない時間を考えているうちに、大学生活も変わらず努力家でいようと思いました。

青年期Ⅳ(大学1年生~大学4年生)|なりたい自分がわからない

とはいったものの、大学を卒業してから自分がなにになりたいのかよくわかりませんでした。

サラリーマンという1つの枠にはまることにとても違和感を感じつつも、決められたレールから外れるのが少し怖かったというのもありました。

横浜国立大学の学生は、勉強だけでなく、人としてもいろいろとレベルの高い人たちばかりでした。

「なにになりたいのかわからない。」
「自分がすごいと思っている人たちもサラリーマンになる。」

そして、なりたいものがわからないから、なにを目指して、どのような努力をしたらいいのかわかりませんでした。

でも、「あまり無駄な時間は過ごせない。」
そう思って、大学生活は、サークル活動も勉強も資格試験も人並以上に取り組んでいきました。

サークル活動1(バンド…Linked Hokarizon)
横浜国立大学の大学祭の開幕を自分の歌で開幕してみたいと思い、そのために急造で仲間を集めてバンドをつくり、その後なんとか選考会を通過して、大学祭のオープニングアクトをすることができました。

寄せ集めではありましたが、コーラス隊を横浜国立大学の混声合唱団にお願いしたり、自分たち素人軍団で集まって練習をしたのがとてもいい思い出です。
自分も混声合唱団の人に迷惑をかけたらまずいと思い(あの人のコーラスしたくない…ということにならないよう)、メンバーにたくさんカラオケに付き合ってもらい、その流れで横浜市内のカラオケ大会で3連覇したりもしました。

今では、練習のしすぎからのどをやってしまったり、楽器はなにも弾けないのでやっていません。(家にギター、ベース、キーボードが転がっています…。)

サークル活動2(TOEIClub)
1年生の頃に、大学でなんとなくつくったサークルです。
(決してTOEICの勉強をするサークルではありません)

1カ月、毎日銭湯に入ったり、遊戯王に熱中したり、将棋をやったり、大学祭で屋台を出したりしました。

新入部員の応募もありましたが、TOEICの勉強はしたことがないということを伝えると、みんな悲しそうに去っていきました…。

特に就職活動は、1年生から20以上のインターンシップに参加し、なりたい自分を探していました。

いろんな企業をたくさんみていけば、こんな自分にも合う企業を、1つくらい見つけることができると思ったからです。

もし一生懸命探して、見つけることができなかったのなら、納得できるだろうというのもありました。

サークル活動3(バレーボール)
先述、バレーボールに一生懸命取り組んでいました。
全国交流大会前は、1日8時間の練習を週5でこなしていました。
サークル活動4(起業)
家庭教師サークルWiserをはじめ、起業にかかわる活動にも取り組んでいきました。

中でも、「すべての人に良質な勉強環境を提供する」ことを目指し、「家庭教師のサクセス」の創立をしたり、移動屋台に取り組んでみたりしていました。

青年期Ⅴ(大学4年生)|なりたい自分をみつける

上記の通り、大学時代は本当にいろんなことに一生懸命取り組んでいきました。

他にもゼミナールの活動(会計ゼミナール)や、イベント企画などのような活動もしてきました。

とにかく、2度とこないであろう、学生生活の時間を後悔したくなかったからです。

4年にわたる長い就職活動を終えて内定先を選ぶ頃、ある1つの答えが自分の中でみつかりつつありました。

いろいろやってみて、一番楽しかったのは自分でサービスをつくってお礼をいってもらえることだった。

サークル活動も、起業も、自分がなにかをつくることによって自分に感謝してくれる人がいる。
そして、その行動に対してお金を払ってくれる人たちがいる。

こんなに素晴らしいことはないんじゃないか。

これこそ、自分が生きているからこそ提供できるものだと…。

青年期Ⅵ(大学4年生)|1つの疑念(就職する)

ただ1つ思うことがありました。

就職しても、人の役に立つことはできます。

むしろ、就職したほうが、自分で起業するよりも大規模な社会的貢献ができる。
そもそも起業は失敗したらまずいし、就職したら親も安心するし…。(以下略)

という理由から、気持ちは起業に傾きつつありましたが、新卒カードを使わない(いつでもやめることはできるけど、新卒で就職できるのは1度だけ)のはもったいないという理由から、「転勤なし」「なんだかんだでちゃんと帰れる」などを理由に地元の金融機関に就職することにしました。

物件(オフィスの取得)
この頃、大学卒業後の拠点(事務所)探しをしていました。
そして、仲間でお金を出し合って、熱海に戸建ての別荘兼事務所を購入しました。
それが、今の事務所でもあります。

1度きりの人生だから自分のやりたいことをやる

青年期Ⅶ(社会人1年目)|やっぱり退職する

就職したものの、入社時の社長あいさつを聞いたころにはもう、退職を決意していました。

そんなの当たり前だと思われるかもしれませんが、私は自分が起きたいと思う時間に起きて、仕事をしたいとおもう時間に仕事がしたかったのだという、自分にとってあまりにも当たり前の答えが強くなってきたからです。

浪人生活(毎日5時代に起きて夜遅くに寝る生活)も、資格試験や就職活動も、自分がやりたいという気持ちが強かったから苦も無く行動することができていたのです。

祖母の死
入社してすぐ、祖母が亡くなっていたことが判明しました。
いつも元気だった父方祖母だったので、はじめは信じられませんでしたが、死んでしまったらもう会えないし、なにもできなくなってしまうというのを認識するには十分すぎるきっかけになりました。

退職を決意した理由は、「仕事の意欲があがらない」ことと「自分の自由がない」という理由でした。

「好きな時間に起きれない」というのもそうですが、職場への交通手段・内容が決められた内容であること(自分が代えの利く存在であること等)も自分にとってはとても厳しいものでした。

私は、「週休2日・月収20万」よりも、「週20時間労働・月収10万円」のほうに魅力を感じます。

やるべき仕事が決まっているのであれば、自分のやる気のあるときに集中して取り組んだ方が効率も良いですし、やるべき仕事があるのであれば、労働時間という概念ではなく、ぞれが完了するまでやってしまいたいと思います。

そして、そのやるべき仕事も、自分がやるべき仕事だと思ったのをやりたいんです。

自分がやるべきだと思っているからこそ、真剣に取り組むことができると考えています。

青年期Ⅷ(24歳|独立する)

事務所などの準備ができていたことや、大学生の頃からの経験などもあって、収益化をするまでには、さほど(死ぬほどの)苦労はしませんでした。

シンプルに考えれば、起業で収益をあげるには、誰かにとって本当に必要なことをやっていて、それを宣伝していてお客様にたどり着けばいいだけです。

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2017.07.11

自分の好きなことで人の役に立てることは意外と多くあるからです。

もちろん会社員とちがって、安定した収入はないのかもしれません。
(会社員でない人の方が自力でお金を稼ぐ力がつくから安定してる論にも同意していますが…。)

しかし、人はいつ死ぬのかわかりません。

時は(一刻一刻をどうかみしめるか)人によってちがった体感時間で流れていってしまうのです。

私は60歳まで健康に生きることを目標にしていますが、死ぬまでにやりたいことがたくさんあります。

死ぬという時がわかるのであれば、そのときに「できるかぎりのことはやった」と思って死にたいです。

青年期Ⅸ(25歳|自分のやりたいことをやりきる)

自分のやりたいことだけして生活していく。

結局、みんなやりたいことをやっている

もし、それが誰にでもできることであれば「きっとみんながそうしている」と思う人も多いかと思います。

私は、そうは思ってはいません。

「起業は簡単だ!」とか「アフィリエイトで不労所得ができて-」のような簡単な方法があるよ!みたいなことをいいたいわけでもありません。
(起業を勧めることには賛成しますが、起業は簡単だと唆す行為自体には否定的です。)

否定的な意見が出るのは承知で書かせていただきますが、結局のところ「みんなやりたいことをやっている」のだと思います。

ブラック企業で働いていて辞めたいけど辞めれないという人が会社を辞めない理由はなんですか?

辞めないことに対して、いい面の方が強い(給料がもらえる等)からこそ、トータルとして「やめたくない」のだと思います。

私がやりたいことは、「趣味をたくさん楽しむ」ことと「自分たちが提供するサービスで生計を立てる」ことです。
そのうえで、起業家の人たちと一緒に、多くの人に役立てるものを作っていきたいと思っています。

バレーボールもそうですが、部活動のようにフットサルや卓球にも取り組みたいと思っています。

ゲームが本当に大好きで、攻略サイトをいくつか作成しています。

最近は、将棋にものすごくはまっていて、最近では日本将棋連盟公認の級位認定3級の認定状の取得資格を獲得しました。

今度、横浜国立大学将棋部の創立者が将棋を教えてくれるらしいので楽しみにしています。

まだ開設したばかりの「もぐログ」ですが、はやくも仕事の依頼がたくさん来ていて、現在人手不足というある意味とても嬉しい状態になっています。

人手不足になるくらい私たちのサービスが必要とされているということは、それを考案している「私たちが必要とされている」ということになると思っているからです。

追記(2017年7月21日)

2017年も半分以上が終わりました。

まだ今年のうちにやりたいことがたくさんあります。

「もぐログ」をかたちにしていく(仲間集め等)のもそうですが、将棋で段位取得者にもなりたいですし、バレーボール以外のスポーツに本気で取り組んだり、TVゲームの大会にも出場する予定です。

実は、パワプロやポケモンの高ランカーです。

DQMSLという毎日少しずつやっているゲームがあるのですが、それの団体戦とかも企画してみたいですね。

「もぐログ」に携わりたい人、「1日中レベルでゲームに付き合ってくれる人」、「上記趣味に共感の持てる人」はぜひ仲良くしてください。

けっこう人見知りなので、そこのところよろしくお願いします。

追記(2018年5月11日)

将棋は目標通り、段位を取得することができました。

アマチュア初段への道(24)|アマチュア初段になりました!

2018.04.21

今年は、この「もぐログ」の、起業支援サイトとしての完成を目指していきたいと考えています。

そして、フリーランスを束ねるものとして、より責任感を持って、仕事に取り組んでいきたいと思っています。

もちろん、プライベートも今まで以上に楽しんでいきたいと思っています。
(ゲーム制作・バレーボール・将棋・麻雀・フットサル・卓球等)

追記(2018年12月30日)

サイト名も、Anythingに変更しました。
サイト全体で情報が古いので、はやめに更新します…。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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ABOUTこの記事をかいた人

Masaki

横浜国立大学経営学部会計情報学科卒。 17歳の頃に初めての起業を経験し、以後8年間様々な事業で起業をする。 学生時代は10以上の資格の取得に励んだり、大学1年生の頃から20社以上のインターンシップ+αを経験したりと人生設計に迷走する。 現在、ホームページ作成、起業支援業務のような様々な新規ビジネスの開拓に携わっている。